ヨガレッスン

只今インドに滞在中のためヨガのレッスンは一旦お休みしています。次回の予定が決まったら告知いたします。

インドでの暮らしはnoteで定期的に発表していく予定です。どうぞご覧ください。


私のヨガのクラスではあまり難しいポーズは行いません。伝統的なハタヨガのアーサナを中心に、月ごとにテーマを決めて行います。クラスの最初と最後に短い瞑想の時間を持ち、「今ここ」にただ存在している自分を静かに感じてみます。

 

シンプルなアーサナを丁寧に行っていくことで、身体の中心を意識しやすくなります。アーサナの間も無理な呼吸はせず、できるだけ自然に流れるように保ちます。だんだんと姿勢が良くなり、身体にとって楽な状態が身についてきます。エネルギーの滞りがなくなると、呼吸が深くなり、心が穏やかになります。

 

ヨガの目的は競争ではありません。他人と比較することでもありません。できるできない、という心を取り外して、ただ、自分の状態をただ味わってみましょう。ささやかなことですが、それが自分という内なる宇宙への扉なのです。


ヨガが私にくれたもの

はじめてヨガの心地良さを知ったのは、もう15年以上前のこと。インド旅行の帰りの飛行機で、たまたま隣り合わせたのがヨガの先生だったのです。奇遇にも近所のお寺でレッスンをしていると聞いて、通い始めました。

 

特にきついポーズもなく、呼吸と身体に意識を合わせながら行う、ゆったりとしたそのクラスの後、身体の軽やかさと心の静けさに驚きました。


それからしばらく熱心にクラスに通っていましたが、身体が柔軟になり動けるようになってきた折にベリーダンスに出会い、夢中になってしまいました。人前で踊る楽しさに開眼して、いつしかヨガから足が遠のいていました。

 

再びヨガに出会ったのは、2012年。体調を著しく崩し、踊りもできなくなってしまった頃でした。次の先生はインド人。最初の先生とは全く違ったタイプでした。

 

ゆったりさの欠片もない、厳しいスパルタヨガ。同じポーズを何度も何度も出来るまで繰り返し、私が音を上げて「出来ません!」と言うと、大きな目をぎょろりとさせて「なぜ出来ないの?」「出来ないのは身体が硬いからじゃない、頭が硬いからだ」と言い放つ始末。

 

しかしクラスが終わると、身体の中に新しいエネルギーの道が通ったようになり、その力強く新鮮な感覚に、目を見開かれる思いでした。

 

先生は決して「出来るところまででOK」とは言わず、どちらかと言えば、楽なところで終えたい私をぐっと引っ張って、ヨガという大海の中に、ザブザブ入って行きました。それが私の本格的なヨガとの出会いでした。

 

もっともっとヨガのことが知りたくなって、私は生活をすっかりヨガ向けに変えて、インドにまで出かけてヨガを学ぶようになりました。そして、私自身の変化に合せて、人生までもが変容していき、思いがけない大波がいくつも押し寄せてきました。自分の古い世界が、波に押し流されて壊れていく。それにひっくり返りそうになりながら、何とかバランスを保って乗り越えられたのは、ヨガの深い智慧のおかげだと思っています。

 

先生はよく私に言いました。「身体と心の正しい使い方を覚えなさい。一度正しい使い方を覚えたら、もう間違わなくなるから」と。運動が苦手で、頭でっかちだった私は随分バラバラの心と身体を抱えていたようです。それがどんなに自分を不自由にし、苦しめていたのか、しみじみ悟りました。

 

そのうち、私が何度もインドに通い続けていることに興味を持った友人たちから、ヨガを教えてほしいと言われるようになりました。経験も浅く、大して身体能力も高くない私が、果たして教えていいものか、と迷いました。けれどバラバラの心と身体を抱えた私が、ヨガのおかげでそのバラバラを、少しづつひとつ(Unity=Yoga)の状態に整えてゆく、その過程をシェアするのは役に立つかもしれないと思い、レッスンを始めました。

 

そんな訳で小さなクラスを続けながら今に至っています。

 

ヨガの旅は長く、終わりはありません。「ヨガは簡単じゃないよ、だから私はやってるんだ。簡単だったらやらないよ」

と言うのが私の先生の口癖です。60年以上続けている先生からそのセリフが出るのですから、私のヨガの旅は死ぬまで続くことでしょう。

 

ケーララでのヨガ滞在記を「インディアン・ヨガライフ」というシリーズでブログに掲載しています。ご興味のある方はこちらもぜひご覧ください。