このイラストは、チベット文化圏でとても人気のあるグリーンターラ仏を描きました。グリーンターラは慈悲と救済の女神として名高いのですが、2017年の5月、インドにおけるチベット仏教の中心地でもあるダラムサラでこんな話を聞きました。

 

私はチベット仏教の尼僧院に滞在していました。そこは西洋人女性として初めてチベット仏教の尼僧として出家し、ヒマラヤ奥地の洞窟で12年も隠遁修行をしていた、テンジン・パルモという尼僧によって建てられたものでした。彼女はチベット人の尼僧が、男性の僧に比べ地位が低く、深く学ぶ機会が圧倒的に閉ざされていることを憂いて、世界中を講演して得たお金でこの尼僧院を作ったそうです。

 

尼僧院の本堂の壁面は、それは美しいターラ仏、そして女性の修行者や帰依者たちの絵で埋め尽くされていました。ブッダやミラレパなど一部は男性の姿もありましたが、8割方は女性たちばかり。その豊かな色彩と凛とした美しさに深く魅了されました。世界にたくさんの仏教寺院は数あれど、これだけ女性ばかりが描がかれている場所はあまりないのではないかしら?

 

見とれた私が「こんなに美しい女性や女神で埋めつくされている仏教寺院は、はじめてみました!」と言うと、一緒にいたアイルランド人の尼僧に軽く訂正されました。「厳密に言えば、ターラは女神ではないのよ。」

 

「ヒンドゥー教徒にとってはターラは女神でしょうけれど、仏教には女神はいないのです。ターラは私たちにとって女神以上の存在です。彼女は言ってみれば女性のブッダ、フェミニン・エンライトメントのエネルギーを体現しているのよ。ターラにはこういう言い伝えがあって、昔高貴で徳の高い女性がいて、彼女は深い慈悲の心を持って、祈りと瞑想を続けていました。そんな彼女に偉いラマ達が言った、あなたが来世で男性に生まれ変わったら、悟りを開くことができるでしょうと、するとこう答えました、いいえ私は来世も女性として生まれてきます、と。そして彼女はターラ仏になったのです。」

「ヒンドゥー教の神々というのは、怒ったり争ったり時には恋をしたりするでしょう?でも彼女はどんなことがあっても変わらない、完全なるエンライトメントと智慧を体現しています。そして、こうも言われているわ、密教の修行中にターラがありありとした姿で現れてきたとする、そしてもしもそのターラが本物だとしたら、彼女は自分が存在しないことを知っている、って。」

 

この会話のあと、ますます私はターラ仏に魅了されてしまいました。グリーンターラは片足は瞑想の姿勢をとり、もう片方の足は前に出し、助けを必要としている人がいたら、即座に行動する準備ができています。悟りと現象世界の両方に足をかける姿はまさに女性の叡智の体現だと思うのです。彼女の表現する豊かさと美しさ、そしてその中心にある、透明で広大な目覚めと智慧、本当の美しさとは表面上のものでなく、こうした不変の静寂さの深い中心で花開いていくものかもしれません。

 

一年以上にわたるインドの旅の中で、私はずっと、自分の中の欠けたピースを埋めるためにあちこち巡り歩いていました。多くの教師の話を聞き、何が真実なのか、それこにはどうしたらたどり着けるのか、その方法を探していました。

 

けれどある日、本当にふとしたことで、気がついたのでした。全ては自分の中にあるということを。グリーンターラの智慧は、私たちの外側のどこか遠くにあるのではなく、内なる本来の自己にしっかりと繋がることで、開かれていくのではないかと。私たちの誰のうちにも備わり、触れられ目覚めるのを待っている。それは私が長い旅を終える、大きなきっかけになりました。

 

そのグーリン・ターラのエネルギーを少しでも近くに感じたいと願いながら、このイラストを描きました。

あなたの中のターラが、より一層深く豊かに花開いていきますように。

 

愛を込めて