2024年の振り返り(スピリチュアル編)

 

長い正月休みのうちに連続投稿します。2024年の振り返り、スピリチュアル編です。

 

私は2023年の9月にクリスチャンとして洗礼(正式には幼児洗礼を受けているので、信仰告白式)を受けまして、現在は

可能な限りは日曜日に教会に通うという、真面目(?)なキリスト者として生活しております。元々私は敬虔なクリスチャンの二世として産まれまして、子供の頃はずっと教会に通っていました。その後ティーンエイジャーになってありがちな「神様なんかいるわけないじゃん」という発想に走り、その後は東洋思想やニューエイジにハマり、それなりに真摯に学んできたつもりですが、どこかでもう一歩先へ行こうとすると、踏み込めない結界のようなものを感じてきました。

 

自分が何をしても、その中心に根を張れず、浮草のような不安定さを感じ続ける中で、ふと、だったら自分の原点であるところに立ち返ってみたらいいじゃないか、という呼びかけが突然起こり、2022年の終わりに教会に通うようになり、聖書を学び直すことにしました。

 

そんな日々の中で、今まで感じていた「踏み込もうとして踏み込めない」という感覚とは逆の「認めたくなかったけど...結局ずっとここに呼ばれていたのかも」という、半ば降参するような感覚に引き寄せられ、1年後に正式にコミットすることにしました。単に思い込みかもしれませんが、帰るべきところに帰ってきたという安心感があって、それは今も変わりません。

 

以前は神社仏閣やパワースポットに行くのが好きであちこち、出かけていたんですが、ほとんど行かなくなりました。キリスト教徒によっては、頑として立ち入らない人もいますが、私は特にそういう気持ちはありません。当初はどうしたらいいか迷ったのですが、今は「何を自分の神とするか」が明確になっていればいいわけで、それが神社仏閣に足を踏み入れたから崩れるわけではないと感じています。お寺などの精神修養の場としての凛とした空気感は、今でも大好きです。でも、我ながら現金だなって思ったんですが、そこで何かのご利益を期待しないとなると、わざわざ行く理由ないんですよ。やっぱりこれまでは、心のどこかでご利益的なものを期待してたんですよね。

 

代わりに「神さま」に触れるのは日々の祈りや聖書を読む中で、あるいは毎週の教会での礼拝でと、そういうふうに変わっていきました。キリスト教では特定の像や建物に神が宿るという考えはありませんので、教会に行くのも礼拝を捧げる神聖な場所ではあるけれど、そこに神様がいるという感覚とは違います。ただ神を賛美するものが集うわけですから強度は強くなり、聖霊の息吹を感じられることが時々あります。瞑想も、祈りや聖書の言葉を黙想したりとかそういう形態に変化してきています。

 

現在私は、地域の割と大きな教会(プロテスタント)に所属しています。一応、日本のキリスト教のシステムとして、どこかの特定の教会に所属し、そこで信仰生活を送るというのが基本になります。これが結構面倒臭いので、逆に日本にキリスト教徒が少ない理由の一つなんじゃないかとも思うんですが、最近はネット教会とか、youtubeで礼拝配信をしていたりするので、教会に所属しないでキリスト者として生活することもできます。ただ、やっぱり何らかのコミュニティに属する必要はあるだろうと思います。仏教でもサンガを非常に大切していますしね、一人きりでやってるとだんだんブレてきても気がつかないですし。

 

教会員になると、奉仕活動みたいなもののお誘いを受けます。教会組織は牧師が頭になって教会全体で運営しているので、まあクラブ活動みたいなもんですかね。自分の所属教会でも、実に色々な役割がありまして、その中でできそうなものを選んでいくのです。ちなみに私は誕生日カードの図案を考えたり、youtube配信のお手伝いをしています。(強制ではないので、最初から何も選ばないこともできます。)

 

去年1年は仕事を新しくして、そっちにかけるエネルギーが多大だったので、なかなかこの奉仕活動まで手が回らず、息切れしながらの1年でした。家から教会まで1時間かかるので、日曜日はなんだかんだで半日潰れます。当番があると多少調子が悪くても行かざるを得ない。朝寝坊してのんびりできるのは土曜だけというのがなかなか...疲れている時は響きますね。

 

今年は引っ越しするかも、という話を前回書きましたが、ずっと職場に近づくか、教会に近づくか悩んでいました。絶対職場に近づいた方が楽に決まってるんですが、すると教会がさらに遠くなってしまう。今の住まいが、ちょうど両方にそこそこ近い真ん中のエリアで、それも新居を決めかねた一因でした。あれこれ揺れ動いて、結局教会の近くになりそうです。(笑)

 

ということで、魚座集中の1年ですから、2025年のスピリチュアルライフ、どう変化していくのか楽しみです。