今日心が折れそうでも 私は息をしている

今日 もしも心が折れそうで

人生が重くどんよりと 背中にのしかかってきたら

 

ダメすぎる自分に絶望して

生きる価値があるのだろうかって

大きなため息を「はぁーっ」とついたとしたら

 

その瞬間、呼吸をしていることに気がつきます。

呼吸をしていることを思い出します。

 

ないものを数え上げるとキリがないですが

とりあえず 呼吸はしているのだから 大丈夫って。

 

ええ、呼吸なんか誰でもしていますよ

そんな自慢するようなことじゃない、と思うかもしれません。

 

でも 何が私に呼吸をさせているのか

この呼吸はどこからやってきて、どこへ消えてゆくんだろうと

少し 瞑想してみます。

 

この地球に生きている人はみんな 呼吸しています。

生まれたばかりの赤ちゃんも 年老いた人も

どこに住んでいようが

何を持っていようが

お金持ちであろうが 貧しかろうが

健康であっても 病を持っていても

生きている限り みんな息をしています。

 

そういう意味では 呼吸はものすごく平等です。

誰もえこひいきしていません

よく 呼吸法云々とか言いますけど

良い呼吸とか 悪い呼吸とか言いますけけど

どの呼吸も 私たちに命を運んできてくれます。

生命のエッセンスを

 

私たちはみんな このエッセンスに満たされているのに

誰も呼吸に感謝しません。

呼吸なくして  この地球で少しも生きることができないのに

誰も呼吸を讃美しません。

 

それでも一度も呼吸は文句を言ったことがないのです。

だから少し立ち止まって、呼吸に感謝したら

呼吸は喜ぶかもしれません。

 

 

もしもあなたが 孤独で

生きる価値などないと感じていたとしても

あるいは沢山のフォロワーに囲まれていて

自分はひとかどの人物だと自負していたとしても

 

誰かが あなたに後ろ指を指し

口汚く罵ったり 嘲笑ったとしても

 

呼吸はお構いなしに 今この瞬間も 私たちに命を運び続けます

人があなたを悪人と呼ぼうが 善人と呼ぼうが

無能と呼ぼうが 有能と呼ぼうが

呼吸にとっては何の違いもありません。

 

呼吸は絶対に差別しないし

いつも平等にやってきます。

そして 呼吸が体を立ち去る時も 

また 平等にやってきます。

 

この呼吸を運んでくるのは何なのでしょう?

何が私たちに呼吸をさせているのでしょう?

私が呼吸をしているのは 本当に私が意図したことでしょうか?

 

 

今日たとえ、心が折れそうでも

生きていることが心底しんどくても

 

呼吸は生命の招待状を 送り続け

私たちはその贈り物を 受け取り続けています。

 

この瞬間 瞬間 瞬間に